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「ジングルベール、ジングルベール、クリスーマスーっと」
 パンパン!とクラッカーの鳴る音が聞こえた。火村は呆気に取られ、闖入者を見やる。
 ゼミ室だった。教室のドアを遠慮なく開けた偽サンタが、呑気に「よう!」と手を上げる。クラッカーの紙吹雪がパラパラと舞い落ちてきた。
「メリークリスマス!」
 今からゼミを始めようと資料を回し始めていた状況に偽サンタはヒュウ、と口笛を吹いたものの、うまく音が出ないことに、不満げに唇を尖らせている。そういう表情は学生もかくや、な屈託のなさだ。
 もう一度、丁寧に唇を尖らしてヒュウ、と口笛を吹いた。思ったより大きな音が響いてうんうんと満足そうに頷いている。
「アリス……」
 火村はガックリと肩を落とした。そういえば今日は12月24日だ。
 去年も、一昨年も似たようなことをやられたのに、また忘れるとは自分の脳細胞も随分と摩滅している。いやいやしかしもっと穏便にコトを運べないのか、この作家は。
「はいはーい、有栖川サンタやよー。ということで、ええか?火村」
 頭には白いポンポンのついた赤いとんがり帽子とは、作家という人種にはとことんついていけない。しかし似合っていた。ダッフルコートは赤で、そんな彼が大学構内を闊歩していても、まったく違和感がなかったことが予測できてイヤになる。
 これで火村と同い年とはまったくもってこれ如何に。
「ええーと、拙かった?」
 首を傾げて、ちょっと気まずそうな表情でいるのが、保護欲をかきたてる。それが男女関わらず、というのが有栖川有栖のオソロシイところだ。
 火村は溜息をついた。
「いや、……、助かった。
 誰か主張してくれ。さすがにこんな日に、切羽詰まっていないゼミを夜遅くまでするのは私も良心が咎める」
 誰が主張できるんですかー!?と学生たちの本心が、一つの言葉になって反響しているのが聞こえるようだった。火村は黙殺する。結局みな、こうして出て来ているわけだから、ここで不満を垂れるのは間違っている。
「うわ、聞いた?みんな。『良心』やて。火村と良心!うっわー!ブタに真珠ぐらい似合わへんわ」
 げらげら笑う作家に准教授の視線は必殺張りの鋭さだ。学生はびびる。
「うるせえな。そういう作家に良識はあるのか?と俺は訊きたい」
「もちろんあるに決まっとるわ」
「片桐さんに聞かせてやりたいね」
「うるさいわ。こんな日に休講振替でゼミしとる火村のほうが人非人やん。みんな、今のうちに帰り。こんな日に約束もない、哀れー、な火村センセは俺が引きうけたるで」
「はん、哀れなのは作家先生も同じだろ。俺は好んで一人でいるんだ。作家先生とは違ってね」
 作家と准教授がどつき漫才をしている間、学生たちは次々とノートを閉じ、資料をカバンにしまいこむ。縋る視線をあちこちから投げられて、准教授は手首を軽く振った。
「今日のゼミは休講だ。こうなると振替は……年明けか。まあいい。ヒトコマ何処かで捻り出そう。夜遅くなっても文句は言わないこと」
 一人が脱兎のごとく駆け出したのを見て、みな口々に「お先に!」と言うと素早く教室を駆け出してゆく。風のように早い。残された二人は目を見交わした。そしてくつくつと笑った。
「いやー、若いな」
「まったくだ。――まあ、なんだ。助かった」
 火村とて人の子である。こんな日に遅くまで補講をして、恋人とのデートに遅れました、では可哀想だと思う。そう思うゆとりをもっている。今は。
 その火村の物言いに、有栖のまなざしはからかうような明るさだ。
「なんや、珍しいやないか、センセイ」
「まあな、世間一般のクリスマスも楽しそうだと。――サンタなんだろ?プレゼントくれよ」
 見つめると、後ずさろうとする腕をとって唇を攫う。
 サンタの帽子は床に落ち、手には恋人が残された。


Merry Merry Christmas!

 

 

 

  

背景素材はLittle Edenさまから頂きました。