+ 瑕と傷痕 + Alice


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はじめて小説を書いた日から、もう10年以上の時間が経つ。
はじめの数年は、指折り数えてその日を思った。その後はできるだけ忘れよう、何も考えるまいと努めたため、実際忘れていた年もある。逆説的なようだが恋人がいた年は、より『彼女』のことを考えた。自分の手紙が、自分の伝えた言葉が彼女を追い詰めたのではないかとおそろしかったからだろう。勿論それは、私の勝手な想像でしかない。彼女は私の手紙について何一つ触れなかった。黙殺という言葉は私の中の何かを砕いて虚しさを埋めこんだ。
それから更に、数年が過ぎ、私は作家になった。
不思議なことに『反動』は七夕には訪れなくなった。
そのかわり、約1月後に波がくる。
書いているときはいい。繭を紡いでいるその間は。
けれど眠る寸前に、自分が欠けていることを思い出す。もそもそと起きあがり一人きりのベッドで膝を抱える。我ながら子供だ。知っている。それがどうした。そのまま、まんじりともせず何時間も過ごすのだ。
何かを考えているわけではない。昼夜逆転した生活は私にとってしょっちゅうのことだが、これだけ毎日寝る時間が違うとかなりキツイ。そしてそれは長く続いた。
昔はその一日、前後二日を乗り越えるだけですんでいたのに、今は前後5日、合わせて10日ほども囚われる。
その10日間を過ぎればまたすべてを忘れたように過ごすことはできるだろう。判っているからそのままに身を竦ませてやり過ごす。
彼女は、命を落としたわけではない。それでもここまでこだわってしまうのは、私の書いた手紙のせいだ。あのあと誰も、私のところへは来なかった。それならきっと、私が出したラブレターは捨てられたか、燃されたか。
言葉が届かない。その痛みを私はデビュー前から知っている。
これは葬送なのだろうか。
ときどきそんなことを考える。
彼女のではなく――そう、長い時間をかけて17歳の自分自身を葬っている。

うとうとと不自然な体勢で眠り、目が覚めて首を回す。コキコキと鳴った。溜息をつく。目が、ベッドサイドのキャメルに吸い寄せられた。
去年の夏に、これはなかった。手を伸ばして箱を軽く叩き一本を抜く。
やはり傍に置かれたライターで火をつける。
吸いこむとくらりとくるような酩酊がある。
今日は週末だ。
じきにやってくるだろう恋人を思い出して私は急いで煙草を消した。
ベッドに横になる。少しでもクマを薄くしておかなければ何を言われるか知れたものではない。締め切りがしばらくないことは知られている。毎年、この時期に少しだけおかしくなる私を火村は放っておいてくれた。けれど今年もそうだとは限らない。あれで火村は独占欲が強いのだ。
息を吐くとベッドの中にキャメルの匂いが漂った。
条件反射的に安堵するのには苦笑が浮かんだ。ベッドのなかに彼の匂いがするのに安堵する日が来ようとは。人生はまったく判らない。
火村が来たら過ぎ去った七夕をやりなおそうと思いつく。
夏の夜空を指差して。夏の大三角形ぐらいなら、この夕陽丘の窓からでも見えるだろう。
ベッドサイドに目をやった。
灰皿から立ち上る煙は葬送の煙のようにたなびいている。
それはゆらゆらと細くなり、空気に溶けて消えてゆく。
それを見送ってから目を閉じ、数を数えた。
今度は待つほどもなく眠りに落ちた。


了 (2008.3.16 彩)

 

 

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