+ おまけ + 


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 闇の中、シーツに投げ出された白い腕、その手首に捲きついた緋色のリボンが息を呑むほどなまめかしかった。
 ほどく事を前提とされたそれは、いまだアリスの手首で留まっている。何度もシーツに擦られたためにリボンには皺が寄って、汗と唾液でところどころ濃い色味を見せていた。
「いっそ、結んだままでいるか?」
 詮無いことを助教授は呟く。『ヴァレンタインプレゼント』であるところのアリスは、右手にリボンを巻かれたまま、唇を閉じようと必死な様子だ。果たせず喘ぐ。彼はこのリボンを捲いてから、本も読まず、パソコンの前にも座らなかった。それどころか火村を顎でこき使う。食事の用意も片づけもすべて火村が『させていただいた』。
「作家は休業。俺はプレゼントやもん」チェシャ猫の笑みで、ソファで膝を抱えていた。
 何もせず、火村に解かれるのを待っていた。
「14日になったらな」と火村はいなし、寝室に攫ってからも手首のリボンはほどいていない。
 アリスの両手をシーツの上に縫いとめたまま、ごくゆっくりとしたスピードで深すぎない抽挿を繰り返す。いつもはシーツに爪を立てるか、そうでなければ火村の背にすがっている手指が力を逸らす行く先を失くして慄いた。そらせられないだけ、それは別の場所で溢れる。そして肩や胸に力がかけられるのとは違って、中途に体は動くのだ。突き上げるごとにアリスの体は呑みこませる動きに沿うようになる。気づいたアリスの目元が染まって咎める色をした。勝気な眼差しが水で潤み、それだけ男の情を煽る。
「ひむ……、君、……っ」
「まだ、『プレゼント』だろ?」
 耳殻を舐めるような囁きに鋭敏になったアリスがびく、と震える。それでなくともアリスは火村の声に弱い。後ろ首をシーツに擦りつける。伸びてうなじを隠していた髪がシーツで縺れ、アリスは眉を顰めている。いつもならば触れて、梳いてやる火村だったが今日はしない。
 体の奥深くを掴んで揺さぶるようなやり方はいつものことだったが、それを両腕に逃がすことの出来ないアリスは受け入れたその場所で、常よりももっと過敏な反応を見せる。
 アリスはなんとか逃れたそうにしているが両腕を押さえ込まれてそれは叶わない。わざわざ両腕を使えなくした状態で、探るようにアリスの中を穿つために火村の動きは、深く、容赦のないそれになった。
「や……や……っ」
 白い咽喉がのけぞり、夜の中、曲線を描く。快楽の反応はそれよりもつぶさだ。体の中心を穿つ火村を食い締めた。それを無理に引き剥がす動きをすると奥まで充分に濡らした体は拒むことが出来ない。甘い水音とアリスの喉声が火村を酔わせる。
 ギリギリまで抜いて、ふかくまで打ちつける。かき乱す動きを繰り返せば火村に馴れた体は手で煽ってやらずとも快楽を貯めてゆく。時々耐え難いのかぎゅっと目を閉じてしまうが宥めるように動くとゆるゆると体が解けた。視線があわされる。
 唇からは小さな喘ぎ。
 目蓋も、唇も濡れて赤い。
 その様は今、火村が味わっているアリスの内部を想像させる。
「火村、手……」
 はなして、とどこか舌足らずな口調で言う。眼差しも揺れて、限界が近いのだと知れる。哀願する眼差しにクラクラときて、焦ったように押さえ込んだ手首に口を寄せる。角度が変わったせいだろう、アリスの声は悲鳴じみて、けれどまるで悲鳴とは違う響きだ。リボンの端を咥え、無造作に歯を立てる。そのまま引くとしゅるりと解けた。絹のこすれる感触にすら快楽を爪弾かれたのか、アリスは眉をひそめて喘いだ。目じりに涙が浮いている。
 押さえつけた両の手首を離す。
 放たれた掌は違わず火村の背をいだく。情動を煽られて、動きが速くなる。
 アリスの唇が、声もないまま火村を呼んだ。火村もアリスを言葉もなく呼ぶ。何も考えられないのに、最後は目も閉じてしまったのに快楽の極みで互いにぶつかるように唇を寄せた。一瞬で、分かち難く繋がる。声の代わりに震える舌が、互いの快楽を伝えあった。

 食べさせるという行為は、どこかセックスに似ている。
 相手の口に入るのが自分の選んだモノだとくれば、それはなおさら加速される。
 ベッドの上で、恋人にチョコレートを食べさせる。その唇はまだ、赤くキスの余韻で熱っぽい。火村の目はアリスがチョコを嚥下する様を舐めるように見ている。
「これ、ブランデー入っとるな」
 アリスの声は、水を呑ませたあともどこか気だるく艶っぽい。
 紅茶色の目も泣いた余韻で腫れている。アリスは気にしない様だがあとで冷やしてやろうと恋人に関してマメな火村は思っている。
「君も、食べ」
 チョコレートを摘んだ指先を近づけられて生チョコを食べる。呑みこむと苦味の中に確かにブランデーが香った。アリスの手首を捕まえて、指に残ったココアを舐める。そのまま上目使いに眺めれば、アリスはしかたないと言いたげに苦笑した。
「君は明日も忙しいんやろ?」
「だから?」
「――ホワイトデーにはお返しせなな。そのころやったら少なくとも試験は終わっとるやろ?」
「またリボンを捲いて良いか?」
 右手首にキスを。掴んだ指の痕が薄あかく残る。
「アホ。君かてお返しくれんとな。ヴァレンタインは豪勢なモノをやったんやから」
「俺でいいか?」
 アリスは微妙に厭そうだ。
「何言ってるかな。この不良助教授は」
「おや、不満でも?」
「アホか。――それはもともと俺のもんや」
 勝ち誇ったように笑う。その明るい眼差しに一瞬、火村は呑まれ――。
 くつくつと笑った。
 両手を上げる。降参だ。
「それじゃあそれはお互い宿題ということで」
 ベッドサイドにチョコを置き、アリスを抱きしめて布団に潜る。
 こうしていると、穏やかな気分になれる自分が火村は不思議だった。
 アリスと出会う前には想像もしないことだった。
 1月後、アリスは何をくれるだろう。
 何を貰っても、嬉しいに違いないのだが。
 そして自分は何を渡せるだろう。
 何を渡しても、アリスはきっと喜んでくれるはずだが、できれば飛びきり喜ばせたい。
 珍しくわくわくした気分で眠りの中に降りていった。

了 (2008.2.22 彩)

 

 

素材提供:Salon de Ruby