+ 恋と毒と相思華と 4 +


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 許可があるまでこの部屋を立ち去らないように言われても詩織嬢は反発しなかった。自分に不審な点があると自分でわかっているためだろう。なにか警察に言っていないことがあるのだと知れた。硬化した態度にそれ以上を尋ねるのは諦め、102号室を出るとエプロンをつけた小母さんと目があった。101号室から顔を出していたのだ。これが管理人・日枝明子だろう。
「あのう、まだ時間かかるようやったら、座布団貸しますけど」
 空室を開けたため、102号室には椅子一つなかったのだ。和室があるので華道家元の娘である詩織嬢には特に不都合なかったようだが、まだ時間がかかるのだ。あったほうが楽だろう。
「あ、すみません。一枚お借りします」
 森下の言葉におや、一枚でいいのか?というように目を動かす。けれど何も言わず奥から一枚、色あせた緑の座布団を持ってきた。鮫山は102号室前に警邏の警官を用意している。
「ついでだ。次行こうぜ」
 火村は言って、我々は管理人・日枝の部屋にお邪魔することにした。

「はあ、大学の先生ですか」
 こちらでも、紹介と共に火村への眼差しは胡散臭さを減じた。招き入れられた和室で、「おかまいなく」とは言ったもののお茶をよばれる。「私が飲みたいんですよ」と笑って言われれば固辞することも失礼だろう。この部屋は瀬沢の部屋よりも広かった。1LDKというところか。和室も広く5人が入っても平気だった。
「瀬沢さんを殺した犯人はわかりました?」
「鋭意捜索中です」
「ほんまに怖いことやってんなあ。なんでやろ。瀬沢さん、家賃も滞納したことあらへんし、あんな風やけどちゃんとした風やったんよ」
「あんな風、とは」
 森下に問われて、いきなりキラリと管理人の目が輝いた。うわあ、コワイ、と私など引いてしまいそうな輝きだ。きっとあの、大阪のオバちゃんのマシンガントークが炸裂する、と予想したとおり、管理人の日枝は語りだした。

 瀬沢さん、美形やったやろ?私でさえ、じいっと見つめられたらドキドキしそうやったんやもん。そりゃもう、女の子、とっかえひっかえでもおかしゅうないわな。ここに越してきた2年前は、はじめはみんな、警戒しとった。行っとった華道の家元のお嬢さんに手え出して破門って言うのも聞こえてきたしな。なんで知っとるかって?そりゃここらの主婦の噂のタネやったもん、瀬沢さんは。なんや師範代やったときはそりゃもう、弟子の奥様方のアイドルやったらしいで。わかるわー。すっごい美形やのにあれで気遣いの人やもん。苦労人やからやろうね。浮ついたことなんて全然なくって身辺はちゃんとしとったよ。なんやここらの女子高性なんかに懸想されて告白されたりもしとったけど、きっちり一線引いとったっていうんで、また近所の主婦には受けよかったもん。身奇麗にしとったよ。断られた娘らが恨んでどうこう、っていうのもなかったん。優しい穏やかな言い方するしね。若い子だけじゃなくってうちら、ここらの主婦にも。そういう、華道なんかするような奥様方とうちらとの分け隔てがなかったんが、瀬沢さんの一番偉いとこやね。うち、思うんやけど、家元のお嬢さんとのことは、お嬢さんに嵌められたんやないかって。なんでかって?そりゃもう、見てたらわかるんよ。瀬沢さんは全然乗り気じゃなかった。大事な師匠の娘さんだっていうんで大事にしてるっていうの?そんな風。お嬢さんはこんな小汚いアパート来るの嫌そうやったし、印象悪いのしょうがないって思ってな。しかもあのお嬢さん、いっつも運転手つきの車で乗りつけるんよ。そうじゃなきゃタクシー。電車で来たことなかったし。なんや世界が違うなー、思うとったわ。そういうのは瀬沢さんも感じとったみたいやったわ。やからやね、間田さんと好い仲になったときは、うち、祝福したんよ。間田さんは、うん、間田さんも苦労人やし、美人やし、なんや似た感じの、お似合いの二人に見えとったん。聡ちゃんも懐いとったしね。瀬沢さん、聡ちゃんのこと預かったりもしとったよ。間田さんが風邪引いたときとか、逆に聡ちゃんが風邪引いて、間田さん仕事やけど託児所に預けられないときとかね。はじめはなんか、そんなんから始まったって言うとったな、間田さん。ご近所でも、普通、なかなか言われへんやろ?そういうん。昨日、聡ちゃん風邪で医者行った帰りに会うたけど、間田さんこれじゃ仕事行けへんやろなあ思ても私、預かりましょか?なんてやっぱりよう言わんかったし。そやのにわからんもんやなあ。あの二人が別れて瀬沢さん、お嬢さんと結婚するって言うんやから。え?なんで知っとったかって?主婦の情報網をなめたらあかん。……っていうのは冗談やけど。間田さん、ここ引っ越すって言うたん。4、5日前かな。今月末で引き払うって。もともとクラブで売れっ子になっとたんやもんね。もっと中心部へ引っ越してもおかしゅうなかったんよ。でも間田さんだけやろ?二人で引っ越すんやったら二人で挨拶来んと変やし。お嬢さんも瀬沢さんとこへこの前来たの見たしな。間田さん、落ちこんではったから、「瀬沢さんは?」ってつい訊いてしもて。したらお嬢さんと結婚する言うやない。もう、私のほうが怒ったわー。間田さんは、彼のためにはそのほうがいいなんて、健気やった。
――お嬢さんが間田さんのことを知っとったかどうかですか?う〜ん、お嬢さんやからなあ。知らんかったんとちゃうかなあ。知っとったら間田さんとこに乗りこんで別れろぐらい言うんちゃうかな。水商売に色眼鏡あったやろし。間田さんはそういう人とちゃうんやけどなあ。あ、もしかして乗りこんで別れろって言うたのかな。それで間田さん、瀬沢さんのために別れるって言ったのかも。それで瀬沢さんはやけっぱちになってお嬢さんと結婚するって言ったのかな。聞いたら教えてな、刑事さん。

 よくわかった。日枝は自分のためにお茶が必要だったのだ。
 ぐったりした我々が、なかなか有意義だった情報を整理している間に火村は窓の外に視線を投げていた。鮫山が森下の肩をどついている。マシンガントークに慄いたのか、森下は気弱げな声を出した。
「あのう、すみません。一応事情聴取、はじめからさせてください」

 一応ってなんだ、一応って。もう十分聴取をした気分だったが、よく考えれば全然していないのだった。
 日枝は3年前に夫と死別、遺産のこのアパートでなんとか食べているとのことだった。家賃は安いし、空室もあるからやっていけるかと危ぶんだものの、アパートの庭先に作った小さな畑と、更にその裏、垣根越しに見たあの小さな田んぼで糊口をしのいでいるらしい。篠宮の婆ちゃんを心配してしまう謂れだった。横目で火村を見ると、彼も事件を考えているのではない、ちょっと渋い顔をしている。同じことを考えていそうだった。
 彼女の身柄について基本的な事柄を尋ねた後、瀬沢がこのアパートに越してきた経緯を尋ねる。単に不動産屋に奨められただけで、家賃の安さに惹かれたようだ。あとは市内からほどほど離れていることと、住人の不干渉主義が気に入ったらしい。と、これは管理人の言い分だから、本当に不干渉主義だったのかは怪しいところだ。
「ええと、でもだいぶん聞いたんで、昨日のことについてうかがいたいんですけど、まず、瀬沢さんとは会いました?」
「ええ、朝、出勤する彼に会いましたよ。9時半頃かな。あれ、久々に早番なんやな、思うたこと覚えてます。私が前の廊下掃いとってね。おはようございますって挨拶したぐらいやけど。特にかわりなかったんやないかな」
「帰りは?」
「それが見てないんよ」
 残念そうに日枝は口にする。まあ、夜の8時までは生きていたのがわかっているので帰りがけの瀬沢を見かけてもどうともならないが。早番だと、通常夕方6時すぎに帰ってくるらしい。しかし昨日は店長の奥さんのまかないをよばれたために店を出たのは7時過ぎ、真っ直ぐ帰ったなら帰宅は7時半前だろうということが勤め先の証言だった。
「昨夜、物音をお聞きになったそうですが、どのような物音でした?何時ごろかは、正確にわかりますか」
「それも正確にはわからんのんです。テレビつけとったんやけどビデオ見とったんで。9時ごろやとは思うんやけど」
 日枝の口ぶりは、またしても残念そうだ。
「どすんっていう物音やった思います。でも、一回こっきりやったし、別段争うような感じでもなかったから、なんや物を落としたのかなって」
 もともと物音に関してはお互い様のところがあって、このアパートの住人は、お互いにプライバシーに踏みこむのを避けているそうだ。――ほんとか?ほんとなのか?
 見ていたビデオを聞くとやはりなんの関係があるのかという表情をされたものの、教えてくれた。流行りの韓流ドラマだった。しかもアクションシーンつきである。ううむ。これは日枝が夢中になっていて争う声を聞き逃していた可能性もなきにしもあらず、だ。
「今朝のことについて、教えていただけますか?」
 今度は忘れなかったみたいだぜ、と火村が横から囁きかけてきた。だから黙って聞け!
「あんまりないですよ。朝食食べてたら悲鳴が聞こえて、なんやなんやって外に出たら今度は男の悲鳴が聞こえて、あれ、吉岡さんやろけど、それで上やってわかったから駆けあがったら吉岡さんが瀬沢さんちの玄関前にへたりこんどったんです。玄関開いとったから中、覗いたら、あれですよ、お嬢さんが倒れた瀬沢さんの横にへたりこんどって。こっちも悲鳴あげました。そしたら、吉岡さんが、やっぱりこういうときって男の人のほうが頼りになる思いましたね、急にしゃっきりして、自分ちに飛んで帰って110番してくれたんです。私、ちょっと気持ち悪うなって廊下で座りこんどったらそのうち救急車の人が来て、もう声も出なかったから必死で中、指差しました。そのあとはもう、てんやわんやです」
 情景が目に浮かぶようだ。血にまみれた瀬沢の死体に、呆然と座りこんだ詩織嬢。
 ちなみに110番ではなく、119番のことだろう。
「――間田さんは、出てこなかったんですか?」
「ドアはちょっと開けてこっち見てやったけど着替えてなかったみたいで。聡ちゃんの看病疲れやろなあ」
 窓の外を向いていた火村が、口を挟む。
「間田さんは、夕べ、クラブに出勤していたそうですよ。帰ってきたのは遅い時間だったそうですから眠っていたんでしょう」
「え?したら……」
 日枝は少し考えるふうだった。
「間田さんが犯人だと思っていたんですか?」
 火村の、穏やかそうな問いかけに管理人はバツの悪そうな顔をする。
 おいおい、火村。間田のアリバイが微妙なことは火村も当然わかってるはずだが。どうやら他に怪しい人間がいないかカマをかけるつもりのようだ。
「や、本気でそやって思うとったわけやないけど、あんまりあのお嬢さんが……、っていうのは考えつかへんしね。そのほかに瀬沢さん恨んどった人って心当たりないし」
「どうでしょう。花の世界も、意外とドロドロしてるのかもしれませんよ」
 真顔で言った。

「202号室の中を覗いた時に、なにか気がつかれたことはありませんか?」
「なにか、言われても」
 あまりに広い範囲に日枝は困惑する風だった。
「あ、ヒガンバナがありました」
 まあ、当然の答えである。しかし火村は難しい顔をしている。
「そのほかには」
「う〜ん、なんや思ったような……なんやったやろ」
 思い出せないようである。まあ死体と、あのヒガンバナのインパクトのほうが遥かに強いなら、思い出せなくても無理はないのだが。いやまて、確か50万円がドアから見えるところにあったはずだろう?火村は当然、気づいているだろうがまだ言及しない。こちらから先に言っては、そのイメージが強くなると思ったのだろうか。その他のことを思い出して欲しいのかもしれなかった。
「なにか思い出したことがあれば、教えてください」
 最後に森下が日枝にアリバイを尋ねた。ドラマを見ていた彼女は肩を竦める。
 部屋を辞する段になって、火村が日枝に包丁を見せてくれと言い出した。管理人は少々気分を害したようだったが「全員に訊いていますので」と言われ、おとなしくしたがった。
 シンク下から出てきたのは、薄手の万能包丁だった。
「これ一本ですか?」
「一人暮らしやしね。重い包丁は扱いにくいんよ」
「ありがとうございます」
 火村は、何事か考えたまま唇を撫ぜた。

 

 

 


 
 
 1.作家の週末
 2.犯行現場
 3.証言者-1
 4.証言者-2
 5.証言者-3
 6.証言者-4
 7.真相
 8.犯人はあなたです
 9.相思華
  エピローグ
 
 
 

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