+ 恋と毒と相思華と 7 +


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 火村は隣り、202号室のドアを開けた。その勢いに私も、森下刑事も呆気にとられたままだ。なんだなんだとついていくしかない。火村は流しで俯いていた。その目の前にはボウル。そのなかには小さな玉ねぎが剥かれて上下を落とされている。睨みつける眼差しが天井に向けられた。
「専門家がいるか……。いや、もしかすると……」
 呟いたと思ったら、また部屋を出る。鮫山警部補に鉢合わせた。
「あ、火村先生。いらっしゃいましたよ」
 だれが、と思う間もなくその相手に気づく。鮫山の後ろには渋茶色の和服を着た、渋い40がらみの男がいた。
「お忙しいなか、お呼び立てして申し訳ありません」
 一瞬でたてなおした助教授はきちんとした挨拶をする。私もわからないまま、闇雲に頭を下げた。
「この事件の鍵を握る人物だ。アリス、紹介するよ。篠水敏秀さん――篠水流の、家元だ」

「展示会の準備は大丈夫ですか?」
「家内が致しております。……私は良いのですか?」
 なんのことかわからなかった。鮫山は苦笑している。
「奥さまに疑いがかかったわけではありません。ただ」
 とこちらへ視線を向けた。
「篠水和子さんの、夕べの訪問先の相手ですが、今日から出張に出ており現段階では確認が取れなかったのです」
 なるほど、確たるアリバイがとれなかったのか。……つまり、この家元にはアリバイがあり、犯人ではないから呼び出された、ということだ。
「このたびはお悔やみ申し上げます。事件は慎重に捜査している段階ですが、錯誤があり、ぜひとも家元に鑑定していただきたいものが二つあります」
「なんでしょう」
「瀬沢さんの部屋へおいでください。DKはまだ、血が残っておりますので気をつけて入ってください」
 瀬沢の師匠であった男に気遣いを見せて、火村は202号室へ篠水敏秀を案内した。
「和室です」
 散らばったヒガンバナは証拠品の採取のために一旦、持ち去られていた。バケツに林立したものと、床の間に生けられていたものはそのまま残っている。一目見て、篠水敏秀は「あっ」と悲痛な声をあげた。
「信之君は……信之君は、どうして、」
「やはりこれは、瀬沢さんが生けたものなんですね」
 冷静な、冷静すぎる火村の言葉。
 家元は、虚ろな表情で力尽きたように頷いた。

「信之君の才能は、見い出した私が一番わかっている。見ればわかる。これを生けたのは彼だ」
 篠水敏秀は、疲れたようにぼそぼそと言った。
「彼が、ヒガンバナを生けている。理由はわかる。どれだけ摘んでもヒガンバナはタダだ。だれも咎めだてなどしなかっただろう。例えば花が5本あって、その花5本を巧く生けるのも華道に違いないだろう。だが、本当に道を極めることを望むならば溢れるほどの花の中からもっとも生けるに相応しいものを選んで生ける、それが道だ。そのためには、金か、権力か、環境がいる。私は彼に娘との結婚を用意した。けれど彼は、この光景を見るならば、それを要らないと言っている。どこでも、どんなことをしても花は生けられる、と。娘との結婚は断るつもりだったんだろう」
 生け花では使うはずもない、素材。
 これは華道ではない。毒があり、不吉な名を持つ花を生けるはずはない、と篠水は言った。
 でもあまりに見事に生けてある、と篠水は酷く哀しそうだった。瀬沢の才能を悼んだのだろう。
「詩織さんも、見ればわかったと思いますか?」
「わからないはずはありません」
 それが錯誤を生んだ。彼女は死体発見時に母親の袱紗を見つけている。恋人は彼女との婚約を投げ捨てるつもりだった。とっさに母親の犯行だと思ったのだ。かばおうとして袱紗を隠匿した。この花は瀬沢が生けたのではないと言い張った。
「この花を生けるのに、どのぐらいの時間が必要でしょう?」
 その言葉の意味を問うように篠水は火村を見た。
「私は門外漢です。こうして剣山に刺してあるだけならばすぐ出来る、と思うのですが」
「いいえ」
 篠水は、怒ったように火村を見る。
「たった4本です。けれど刺しては外し、丈を詰め、また刺して頭の中のイメージに対してバランスをとる。そんなことを繰り返していれば一時間などあっという間です」
「ありがとうございます。もう一つ鑑定いただきたいものがあります」
「なんでしょう」
 火村は篠水をキッチンへ案内した。水を張ったボウル。そのなかには――。
「ヒガンバナの、地下茎ですね」
 篠水は一目で言い当てる。
 火村を見た。予想していたのだろう、火村の顔に驚きはない。
「膝に、水が溜まった時に張り薬として使うと聞いたことがあります。間違いないですか?」
「よくご存知ですね。その通りです」
「――絡まった糸がほどけました。ありがとうございます」
 頭を下げる火村に、篠水が両手を差し出した。火村の手を取った。
「信之君は、才能ある青年だった。娘の婿に、とどうしても諦めきれなかった。それが愚かな望みだと知っていても。結果、彼は喪われた。私が言うことではないとわかっている。彼を殺した犯人を捕まえてください」
「全力を尽くします」
 火村の目は、追いつめるべき相手を見据えて底光りしていた。

 

 

 
 
 1.作家の週末
 2.犯行現場
 3.証言者-1
 4.証言者-2
 5.証言者-3
 6.証言者-4
 7.真相
 8.犯人はあなたです
 9.相思華
  エピローグ
 
 
 

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